Banner
日本の不器用な父親を学ぶ
This is my site Written by iwasaki on 2011/11/06 – 04:41

久しぶりに読みながら何度も何度も目頭が熱くなる本に出会った。それはただ単にお涙頂戴のストーリーではなくて、多かれ少なかれ日本人に特有な不器用な父親を描いており、寡黙で間の抜けた、やや暴走気味で空回りする、熱さいっぱいの、愛してやまない男の物語である。
著者は重松清氏、重松氏の別著書「定年ゴジラ」は、テレビ化された時、定年を遠望し始めた50代半ばの団塊サラリーマン達に「これから如何に生きていくべきか」を考えさせる格好の定年準備教育になったことを、昨日のように思い出した。
今回の著書は「とんび」、「とんび」が鷹を生んだ話である。といっても、凡人の親から秀才が生まれた話ではなくて、一人で子育てするぶきっちょ男と一人息子が、子育てが親育ての関係にとどまらず、周囲のたくさんの人々の温かい手が加わって、大きな家族共同体で子育てをしていく物語である。
親子三代の男関係は、子供を捨てた父親のたっての希望で、死に際に会いに行った主人公が「わしを生まれさせてくれてありがとうございました」「大事に思うとる者同士が一緒におったら、それが家族なんじゃ、一緒におらんでも家族なんじゃ」、主人公が東京に巣立て行った息子に会いに行った帰りに、「親がおるけん、子がおる」
田舎から都会に働きに出てきた先輩達の話を聞いて、「皆、地方に年老いた親を残していて、親が二人とも亡くなった人は家や土地の処分で、まだ健在の人は介護や近所付き合いなどの雑事で、ほんとうに大変なのだ」と言う。
これらが全て現在の我が心境であり、「不器用だがまじめで、スジを通す」生き様は、昭和後半に青春を生きてきた我々団塊の世代に共通する、ノスタルジックな「来た道」である。

Posted in  

Leave a Reply