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小松左京を改めて読み直そう
This is my site Written by iwasaki on 2011/11/27 – 07:11

11月24日のクローズアップ現代で「SF作家小松左京の創造力」を取り上げていた。今年7月26日に亡くなられてすぐの特集に、「日本沈没」の作家がどんな創造力を持って執筆を続けてこられたのかと興味深く観た。
「日本沈没」は、1年で340万部を売り尽くすベストセラーになった小説であり、1973年に映画化されて、日本中にそのリアリティ溢れる衝撃をもたらして、当時、新婚間もない我が夫婦も仕事帰りに映画館に出かけたことを思い出した。
改めて、彼のプロフィールを見て驚愕した。

大阪市に生まれ、子供時代は「いちびり」な性格であり、京都大学文学部を卒業後、入社試験を受けた全ての新聞社から、学生運動をしていたとの理由で断られて、作家としての道を歩き始めた。
1965年にはべ平連創立の呼びかけ人となり、当時、発売されたばかりの高価な電卓を駆使して日本沈没を書きあげた。以降は「首都喪失」や「復活の日」「さよならジュピター」など当時の若者なら誰でもその題名を知っているSF小説を発表し続けたのである。

SF作家の御三家と呼ばれた「星新一、筒井康隆、小松左京」の一人、筒井康隆が、「自分は自分の頭の中の知識やシチュエーションを組み合わせて小説を考えるが、小松は“先ず、こういうテーマの小説を書く”と決めて、それに沿って、彼の頭をワッサワッサと揺すり動かすと膨大な関連する知識が落ちてきて、それをまとめ上げていく」と小松の創作法を評している。

文壇からは正当な評価を得られず、直木賞すらもらっていないが、小松ならではの文学的な問題意識が共有できたのはSF作家仲間ではなく開高健や高橋和巳であったことも、団塊の世代として納得できるものがある。
小松左京のペンネームは字画プラス「左がかった京大生」から付けたそうだ。

これから改めて彼の作品を読み直してみたいと思っている。

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