特訓会という名の研修会

昨年末に、ある大手メーカーの工場長から、「次のマネージャーが足りないので、候補研修終了者の中から、ニーズの高い人を選んで指導してもらえないか」との依頼があった。この会社では、この3年間、革新リーダー育成研修を行ってきて、徐々にマネージャーを送り出してきているが、更なるドライブをかけたいとの思いである。

早速、研修終了者の中でまだマネージャーに昇格していない優秀者を人選してもらい、並行して、研修プランを立案した。実施回数は2か月に1回で全4回、全て土曜日、前半分は昇格するために必要なマネージャー要件の不足部分の補填を行う内容にして「補講会」と名付け、後半2回は候補者に選ばれた人に絞っての「必勝法の伝授」の場として「特訓会」と名付けた。

指導上司にも参加いただいた。活動発表では必ず上司の指導状況も付記していただき、参加者全員(もちろん受講者も)がその活動で十分かどうかをコメントすることにした。ただし、十分であれば○の一言で終わり。不十分な場合のみ、その理由を簡潔にコメントすることにした。

日本人は、褒めることは容易にできるが、厳しい指摘は言葉を濁してなかなか核心に迫ったコメントをしない傾向があるので、このやり方を選んだのである。国際プロコーチの助っ人が、スタート間もない時点で、覚悟が不十分な受講者の発言を捉えて、柔らかな大阪弁で柔らかな言葉だが、「わりゃあ、なめとんのか!」という思いが伝わる喝を入れてくれたお陰で、最初から厳しいコメントが飛び交って、いやが上にも緊張感がみなぎる、期待したとおりの研修会になった。

昨日、特訓会の2回目、補講会全体の最終会を行った。結果は全員がスタート時点から一段も二段も上に成長して、ほぼ昇進できるレベルにまで達することができたと、上司も講師も評価した。

いつもの居酒屋ではなくて、小さな割烹に招待されて行われた打ち上げ会では、受講生たちが自分の努力と成果を少々はにかみながら発表し、上司達もその成長を称え、併せて、その過程を通して、OJT力が具体的に向上したことを実感として語ってくれた。

「補講会、特訓会」という名の研修会は、それを受ける研修生には気が重い、出席するのも嫌なことが多いと思うが、「参加者全員がその場のねらいを腹に落としていれば、見事なまでの研修成果をモノにすることができる」ことを、まざまざと実感した8か月間であった。

後は昇進が決まったとの朗報を待つばかりである。

母と手をつないで歩ける幸せ

宮崎で一人住まいしていた母を、年末に少々強引に大阪に連れてきたので、不安顔を気遣いつつ、先ずは我が家の和室に住んでもらい、一緒に食事をし、お風呂は妻と入り、毎朝、散歩をし始めた。

これまでは気恥ずかしくて母と手をつないで歩いたことはなかったが、我が家の一員のおばあちゃんになってもらったのだから、これを機に手をつないで歩くことにした。

父親の看病と死去後の一人住まいですっかり足腰が弱ってしまったようで、杖だけで歩くのが何とも頼りなさそうだが、手をつなぐと安定するのか安心するのか、しっかり握って前を見て歩いてくれる。

先ずは家の周りを歩き始めたら、これまで話をしたこともない通行人達が気軽に話しかけてくる。「息子さんとお散歩ですか。いいですね。」 母がすかさず、「宮崎に大きな家があり大阪に来るのが嫌だったが、嫁がいい人なので思いきってきました」と返事すると、「息子さんと一緒に住めるのは幸せですよ。やっぱりお嫁さん次第ですよね。私もお嫁さんがいい人なので同居しています」と嫁自慢に花が咲いた。

こんな生活のスタートに少々安心したのか、5日目にはホームに住むと自分から言い出したので、施設長さんにご相談して「善は急げです」との応えで、その日からホーム住人となった。

翌日から、朝食後、ホームに母を訪ねて散歩に出かける新たな生活パターンが始まった。

初日は我が家まで歩き(我々の足では5分、母と一緒なら20分)、2日目は成田山不動尊まで20分(我々なら3分)坂道を登り、お参りして石段を下り終えて、綺麗で珍しい花のあるお宅をのぞいていたら、ご夫婦が出て来られた。「チロリアン・ランプと云うんですよ。是非持って行ってください」と4・5本いただいた。「これから前をお通りの時は、是非、チャイムを押して、お茶でも飲んでいってください」

これまで何度もこの家の前を行き来してきたが、こんな会話を交わしたことは一度もない。また道を歩いていて声をかけられることもなかったが、その後も池の傍では「この池にはカルガモがいるんですよ。春になったらひなを連れた親子が泳ぐ姿が可愛いですよ」「歩くのが健康の秘訣ですから、毎日、この池の周りを歩いてください」

「母と手をつないで歩ける幸せ」、それだけでも幸せすぎるくらいだが、更に、その道々での新しい出会いは、これまでのビジネス人生とは違った会話に溢れることだろう。新たな出会いの場づくりができたようだ。

 

2012年度の目標「絆を太くする」

あけましておめでとうございます。
今年も時々の出会いをブログにまとめたいと思っていますので、アクセスしていただければ幸せです。

今年の目標は「絆を太くする」と決めた。
今朝、温泉に浸かりながら浮かんできた言葉が昨年を表す一文字「絆」であり、今年はそれを更に強くするのみならず、太くする活動を展開したいと思ったからである。

2012年度の目標「絆を太くする」

マネジメントの絆を太くする

  1. 人の力を育て集めるマネージャーを育成する
  2. 上司・部下間の育成型コミュニケーターを育成する
  3. 現役ミドルをニューミドルに変身育成する

山に登り、人と交わる絆を太くする

  1. アルプスに安全登山を3回敢行する
  2. HRD研究会で「ニューミドル育成プラン」をまとめ上げる
  3. 新たなスポーツを始める

ファミリーの絆を太くする

  1. 母との共同生活を安定化させる
  2. 夫婦でチャレンジ旅行に出かける
  3. 息子達と「アンテナマン制度」でつながり、学びあう

(注)「アンテナマン制度」とは、スマートフォンを貸し与えて、最新のトレンド(日本人の指向、企業ミドルの現状、ビジネスパーソンの悩み、若手の意識と行動など)を気づくたびに報告することを条件に、自己啓発費用の一部を援助する制度。徐々に対象を一般選考化していきたい。家族・友人・知人達からのサポートを期待しつつ、更に意識を高めて、果敢に行動に移していきたいと思う。

株式会社岩崎人事コンサルティングのホームページを年初から一新し、「マイク岩崎の出会い日記」をその中に載せるべく工事中ですので、しばらくお待ちください。
新URLはhttp://www.iwasaki-jinji.com

年賀状づくりをして分かったこと

例年以上に公私とも超ハードスケジュールに追われながら、年賀状のレイアウトと印刷を手助けしてくれる妻の催促で、年賀状の挨拶文をまとめてみた。
「大震災に明け、構造不況に暮れる」1年を俯瞰してみて、改めて気づいたことは「今年は人生の大転換点になった」ということである。
一つ目は「妻と仕事上で初めてコンビを組めたこと」である。長期研修スタート時の自己理解促進のために、EQプロファイリング結果を個々人にフィードバックすることにして、プロファイラーの彼女に助力をもらうことにした。これが極めて好評であり、回を追う毎に「ドンピシャの分析結果でした。懇切丁寧な説明で腹の底まで納得しました。これからどう自己改革するかを考えます」との声が続々届いている。これは彼女の永年の直接顧客対応キャリアの為せる技であり、これからは「Face to Face コミュニケーション・カウンセラー」と紹介することにしよう。
二つ目は「64歳を境にして体力が戻ってきたこと」である。夏の2回の北アルプス遠征登山が効いたのか、その後、視力は1.5に回復し、登山の持久力もスピードも50歳代を思い出すものになってきた。また、早寝早起きが加速して、3時か4時に起き出してのパソコンワークが友人やお客様から「異常な時間だ」と驚かれ、健康増進を日々実感している。
締めは、宮崎に一人住まいしてきた母の大阪への引越しである。永年、心の隅に重苦しく位置取ってきた最大の懸案事項が、年末押し詰まってから急展開して、4日後には実現する運びになってきている。
これら全ては、妻の絶大なるサポートと家族・友人達のこれまた絶大な支援の賜物である。「持つべきものは友、持つべきものは夢、やるべきものは挑戦」、定年退職時に「60歳以降の人生のグランドデザイン」をまとめて机の前に貼り出しているが、その中に掲げたモットーの正しく実践であり、それら全てに妻の存在の大きさを改めて思い知らされている。
「人生の大転換点を更に一歩踏み出して、新たな価値ある人生づくりに夫婦が力を合わせる新年にしたい」と、心も新たにしている昨今である。

小松左京を改めて読み直そう

11月24日のクローズアップ現代で「SF作家小松左京の創造力」を取り上げていた。今年7月26日に亡くなられてすぐの特集に、「日本沈没」の作家がどんな創造力を持って執筆を続けてこられたのかと興味深く観た。
「日本沈没」は、1年で340万部を売り尽くすベストセラーになった小説であり、1973年に映画化されて、日本中にそのリアリティ溢れる衝撃をもたらして、当時、新婚間もない我が夫婦も仕事帰りに映画館に出かけたことを思い出した。
改めて、彼のプロフィールを見て驚愕した。

大阪市に生まれ、子供時代は「いちびり」な性格であり、京都大学文学部を卒業後、入社試験を受けた全ての新聞社から、学生運動をしていたとの理由で断られて、作家としての道を歩き始めた。
1965年にはべ平連創立の呼びかけ人となり、当時、発売されたばかりの高価な電卓を駆使して日本沈没を書きあげた。以降は「首都喪失」や「復活の日」「さよならジュピター」など当時の若者なら誰でもその題名を知っているSF小説を発表し続けたのである。

SF作家の御三家と呼ばれた「星新一、筒井康隆、小松左京」の一人、筒井康隆が、「自分は自分の頭の中の知識やシチュエーションを組み合わせて小説を考えるが、小松は“先ず、こういうテーマの小説を書く”と決めて、それに沿って、彼の頭をワッサワッサと揺すり動かすと膨大な関連する知識が落ちてきて、それをまとめ上げていく」と小松の創作法を評している。

文壇からは正当な評価を得られず、直木賞すらもらっていないが、小松ならではの文学的な問題意識が共有できたのはSF作家仲間ではなく開高健や高橋和巳であったことも、団塊の世代として納得できるものがある。
小松左京のペンネームは字画プラス「左がかった京大生」から付けたそうだ。

これから改めて彼の作品を読み直してみたいと思っている。

ホッと胸をなでおろす

宮崎で一人住まいする母親を引き取る話が急に出てきてから、何とか母親を説得して、自宅近くの新築間もない住宅型老人ホームを契約し、受け入れ準備を開始した。しかし、母親の宮崎を離れたくないとの再度の訴えに、一時、準備を中断し、次回の帰省時に再確認することにして、今回の3泊4日の帰省に相成った。
胸に重荷を背負った格好で実家に帰りつき、母親の顔を見たら、泣いて訴えていた時の悲壮感がうかがえなかった。早速、母親の思いを確認し、姉弟たちにも念押しをして、ようやく大阪の我がファミリーの一員になることが決定した。

母親は、一度、心の底から納得すると、後はさばさばとして大阪の生活についてあれこれ夢を語りだした。早速、妻に結果を電話して、二人でホッと胸をなでおろした。

こんな行きつ戻りつがあったので、進め方をもう少し丁寧にしようと、スケジュールの後ろ倒しを提案したら、妻の答えは明快だった。「善は急げです。心が揺れない内に、年内に大阪に来てもらいましょう」
我ながら詰めが甘かったと大反省した。

帰阪次第、年末のスケジュールを調整し直して、クリスマスまでには宮崎の家を片づけて、母親を大阪に連れてこよう。
心が決まると後は簡単だ。スケジュール作りに邁進しだした息子がここにいる。

楽器演奏は弾き手聞き手両方の心が見える

友人のTさんが所属する「桃陰管打合奏倶楽部」の定期演奏会に招待されて、岸里にある大阪フィルハーモニー会館に夫婦で出かけてきた。
この倶楽部は大阪府立高校の吹奏楽部OBが1996年に結成し、以降、今回まで12回の演奏会を開催してきている。40名くらいのメンバーの中には、一時欠員だったトロンボーンの優秀なOBが2名も加わっている。

特に今年は例年以上にまとまっており、演奏者の顔にも充実感がみなぎっている。楽器好きが練習に練習を重ねて毎年演奏会に臨むのだから、年を追うごとに腕が上がるのは当然だろうが、結成後15年を迎えて、メンバー達の思い入れが更に強まった結果ではないだろうか。

一方、聞き手の我が夫婦も、お互いに仕事が充実し、プライベートの課題山積みも力を合わせて着実に乗り切ってきている昨今なので、その心の充実感と落ち着きが演奏を楽しむ余裕になっているのだろう。

そんな盛り上がりの中で、ただ一人、Tさんだけが持ち前の笑顔がない。「サンチェスの子供達」でフリューゲルホルン(トランペットより、太く、豊かでやや暗い甘味な音色を出す)のソロを吹いたが、いつものハリが見えなくて、「心に悩みあり」と感じていたら、同じく心読みの妻も同様の感想を述べた。

「楽器演奏は弾き手聞き手両方の心が見える」、少し心配になったので、一度Tさんに直接、状況を確認してみたいと思う。

日本の不器用な父親を学ぶ

久しぶりに読みながら何度も何度も目頭が熱くなる本に出会った。それはただ単にお涙頂戴のストーリーではなくて、多かれ少なかれ日本人に特有な不器用な父親を描いており、寡黙で間の抜けた、やや暴走気味で空回りする、熱さいっぱいの、愛してやまない男の物語である。
著者は重松清氏、重松氏の別著書「定年ゴジラ」は、テレビ化された時、定年を遠望し始めた50代半ばの団塊サラリーマン達に「これから如何に生きていくべきか」を考えさせる格好の定年準備教育になったことを、昨日のように思い出した。
今回の著書は「とんび」、「とんび」が鷹を生んだ話である。といっても、凡人の親から秀才が生まれた話ではなくて、一人で子育てするぶきっちょ男と一人息子が、子育てが親育ての関係にとどまらず、周囲のたくさんの人々の温かい手が加わって、大きな家族共同体で子育てをしていく物語である。
親子三代の男関係は、子供を捨てた父親のたっての希望で、死に際に会いに行った主人公が「わしを生まれさせてくれてありがとうございました」「大事に思うとる者同士が一緒におったら、それが家族なんじゃ、一緒におらんでも家族なんじゃ」、主人公が東京に巣立て行った息子に会いに行った帰りに、「親がおるけん、子がおる」
田舎から都会に働きに出てきた先輩達の話を聞いて、「皆、地方に年老いた親を残していて、親が二人とも亡くなった人は家や土地の処分で、まだ健在の人は介護や近所付き合いなどの雑事で、ほんとうに大変なのだ」と言う。
これらが全て現在の我が心境であり、「不器用だがまじめで、スジを通す」生き様は、昭和後半に青春を生きてきた我々団塊の世代に共通する、ノスタルジックな「来た道」である。

人事コンサルタントの醍醐味

株式会社岩崎人事コンサルティングが、起業して山あり谷ありの3年間を抜けて、今年4月から4年目に入った。初年度は好調そのもの、正しくビギナーズラックであった。しかし2年目が大苦戦、新たな仕事の展開ができずにどん詰まり状態、しかし、3年目に入り、徐々にやりたい仕事=他社がまねできない領域の仕事が飛び込み始め、4年目の今年は次から次へと縦横への拡大依頼が舞い込んできている。
それらは「21世紀型革新リーダーを手づくりで育成する」という大旗に沿った仕事なので、「全く斬新な企画~徹底した準備~心を込めた本番」のサイクルを回すワクワクドキドキの毎日である。
企画・準備・本番のどのプロセスにおいても、人事コンサルタントとしての視点とアイデア・「かまし」と称される相手へのアプローチを行っている自分に気付き始めた。
研修の受講生達には、彼らに共通する課題のみならず、一人ひとりの課題を引っ張り出しては、その解決プランを描いて、のけぞるような直球勝負を行っている。その中でも、初めて試みたリーディングアサインメント研修や復習テストは「研修の中の一受講生」では過ごせない「on theフライパン状態」を作り出している。
一方、研究会でも、担当幹事に対して企画と詰めの甘さを理解してもらいつつ、これもまたリーディングアサインメント研修形式を導入して、真剣な討議の場づくりが出来上がってきている。
そんな中で、起業2年目を迎えたコラボ社長に対して、歯に衣を着せない現状評価をし終えてから新たな事業コンセプトを提案した。ビギナーズラックから次の展開に苦しんでいた彼にとって、その提案がストンと腹に落ちたようで、急に元気になって再び創業時の勢いで、基本戦略とその実行プランづくり、即時対応を始めたとメールが来た。
これら全てが「人事コンサルタント冥利に尽きる」喜びである。さあ、これからも冥利を味わい続ける活動を続けていきたいと思いを新たにしている。

仕事で成功する人 いつも今一歩な人

人材開発の研究会で共に学ぶプロコーチが「えいや~!」で会社を辞めて独立したと聞いて、コラボ社長と二人で、起業のアドバイスをすべく淀屋橋の喫茶店に呼び出した。
年齢不詳の別嬪さんコーチは、少しだけ先輩起業家からの微に入り細にわたったアドバイスを傾聴の精神そのままに熱心に聞いて、大喜びで帰って行った。
普通のビジネスパーソンならばお礼のメールが来て終わりだが、彼女の場合は違う。PR用のパンフレットが是非必要と力説したのに対して、すぐにたたき案が送ってきて、少しだけ赤ペン先生すると、今度はキンコーズで厚めのカラー用紙に印刷したパンフレットを送ってくるではないか。
永らく人事を担当し、現職では自己改革の指導アドバイスを数多く行ってきているが、成功する人はすぐに分かる。「話を熱心に聞いて、それを素直に実行に移す。そして、そのスピードが極めて速い。」
一方、いつも今一歩で成功しない人は、「話を聞いてもそれを自分流に聞き直してなかなかアドバイスどおりに実行しない。そのスピードもいつ着手するのかとこちらが気をもむほどに遅い。」
アドバイスを素直に聞いて、そのまま即実行する人には更に手助けしたい。他方、話を聞くには聞くが、それを自分流に解釈し直して、なかなか実行しない人には誰が次の手助けをしたいだろうか。
「オフィス福原」を立ち上げたプロフェッショナル・コ―アクティブ・コーチ、成功すること太鼓判である。