北アルプスの稜線漫歩

先日の3連休に北アルプスの表銀座と呼ばれる燕~大天井~ここから槍へのルートと分かれて常念、を息子達と3人で歩いてきた。あいにく3日間共に雨の予報だが、降れば燕往復か登山口の中房温泉で骨休めも覚悟していた。
初日は予報通りの雨、北アルプスの三大急登と言われる合戦尾根をゆっくりゆっくり只ひたすら登り、コース予定時間より40分も早く着いた。改めて、着実な歩みの大切さを体感させられた登りだけの1日だった。
2日目は予報に反して快晴、正面に槍ヶ岳、そこから左に大キレットから穂高連峰、右には北アルプス中央部の山が連なり、8月初旬に歩いた鹿島槍の後立山連峰、後には富士山、その右手に南アルプスの北岳、左に少し離れて八ヶ岳連峰と、360度の大パノラマが広がる稜線をピクニック気分で歩き始めた。
アップダウンの少ない稜線は、どこまで歩いても大眺望には雲ひとつかからない。行き交う登山者に「素晴らしい好天ですね。日頃の精進の賜物でしょう」と声をかけると「お互い様です。今日のトレッカー全員が精進したお蔭なんでしょう」と返ってくる。
途中の山小屋(大天荘)では、縦走途中にもかかわらず、余りの気分の良さと2時間弱の宿泊小屋までの好天・安全コースに確信を得て、思わず生ビールをグイッといってしまった。息子達が食べたうどんも格別の味だったらしい。通過小屋の経営努力がうかがえた。
そこから常念小屋までもアップダウンが少なく、若干ガスが上ってくる程度で、眺望も朝のまま。これほどの安定した好天は極めてまれだ。
山登り、ましてや2500Mを越える北アルプスレベルでは晴れれば天国、降れば地獄だが、ここまで登ってきて稜線を歩かなければ、この眺望・この爽快感は絶対に味わえない。華やかな登山ファッションを身につけた山ガールが増えてきたが、心身ともの健康づくりができる登山に老若男女全てが挑戦してほしい。
北アルプスの稜線漫歩でエネルギーを満タンにした身体は、帰阪してからも当分その元気さが衰える気配さえなさそうだ。

震災地企業の再生活動に協力したい

我が家では宮城県気仙沼市のフカヒレラーメンのセットをお中元やお歳暮として使ってきた。ところが今回の大震災の後で、「工場が全壊したので、当分の間、通販できない」との連絡が来ていたが、2~3ヶ月くらい前になって「待望のフカヒレラーメンが復活」とのFAXが入ってきた。
「値段が少し高くなっているし味もどうなったか分からないけど、震災からの再生応援で注文しようと思うの。折角だから宮崎や我が家用に少し多めに買いたいけどいい?」との妻の問いかけに、もちろん異論はなかった。
届いた箱を開けてみると、パッケージも少し小さくなっていた。しかし、「復活間もない商品をお買いいただきましてありがとうございます。今、全力で頑張っていますので、これからもよろしくお願いいたします」との手書きのお礼状が添えられていた。
余り上手な字とは言えないが、急ごしらえの工場の片隅で箱詰めしながら一件一件お礼状を手書きする人たちの姿が目に浮かんできた。
食べてみると味はまだ震災前の絶品には戻っていなかったが、「ささやかな震災地への応援ができたね」と夫婦で顔を見合せて少し辛めのラーメンを美味しく味わった。フカヒレは元のままの大きさだった。

人事コンサル冥利に尽きる

半年間のリーダー研修の最終報告会を終えて少しだけ虚脱状態に陥っている。
「人の意識と行動を変えるには1年かかる」と人事の先達からいつも言われているにもかかわらず、お客様の事情や要望で少し短い日程ではやってきたが、今回の半年は厳しく、かつ、期待通りの意識行動改革が目に見える形で実現することをコミットメントするから尚更である。
この研修を待ってましたとばかり家族の協力を得て一直線に求め続ける人、学びと自分流の考え方の間を行きつ戻りつする人、人生の生き方にまで立ち戻って再スタートを期する人など、各人各様の努力に、これまた上司の皆さん方のアイデアと工夫あふれるアドバイス・指導が加わって、二人三脚で迫ってくる勢いには、こちらも生半可な講義やコメントでは立ち向かえない。
課題図書に推薦図書を加え、個人観察には自己開発アセスメントの課題認識にEQプロファイリングの感情行動分析を並行させつつ、毎週の週報から意識と行動の小さな変化を見つけ出し、その喜びを共有しあってきた。
これらは単なる研修講師では味わえないだろう。意識は個人コーチであり、人事責任者マインドで職場の人材育成に参画する行動にまで立ち至るのであるから、これこそ人事コンサル冥利に尽きるものである。
受講生とその指導上司達、組織責任者に経営者まで加わった終了後の懇親会の席の和気あいあいとした雰囲気の中で、一段と自信を付けた受講生と上司の皆さん方の顔を見渡しながら、自らの学びも大きかった半年間を懐かしく振り返っていた。「教えることは教えられることである」を実感した。

経営(者)が変われば社員が変わる

京阪沿線に住まいする者として香里園駅のバスプールを独占している京阪タクシーの運転手の横暴さは目に余るものがあった。我が家までの1区間で乗ると、ムスッとして口も利かず猛スピードでぶっ飛ばすことが度々あり、妻はそれが嫌でどうしてもタクシーに乗る必要性がある時はひと駅手前の寝屋川市駅から乗るほどであった。
そんな電鉄系列のタクシー会社が経営難から全国大手の第一タクシーに身売りしたので、少しはマナーが良くなったかと試しに乗ってみたら受け答えがまともである。「1区間・2区間がほとんどですから、このお客さんを大事にしています」
再度乗ってみても同じ対応なので、これは相当変わってきたなと思い、妻と一緒の外出の帰りに乗ってから、我が家ではその変化を評価することとなった。
乗る際には必ず「マナーが良くなりましたね。以前の京阪タクシーのマナーは悪過ぎて、絶対乗らなかったんですよ」と話しかけ、その答えを確認してきている。しかし、中には京阪タクシー時代からの運転手がいて、ブスッとする反応があるので、妻からは「それは言わない方がいいですよ」とくぎを刺されているが、これだけはしばらくは続けていきたいと思っている。
運転手の相当数は替わっていないと思うが、経営者が替わり経営の考え方が変わるとこんなに社員が変わるものだと目の当たりにする光景である。よく問題が発生すると現場の担当者に責任を転嫁する経営者を目にするが、会社の問題行動のほとんどは経営者の責任であり、問題発生は経営者の無能と不作為の表れである。
「今度の経営者はケチで厳しいですよ。掃除のおばちゃんまで辞めさせましたから」、かの会社のタクシー運転手はまだこんな不満を言っている。経営不振の会社なら、タクシー待ちスペースの掃除くらい客待ち時間に自分達が掃除するのが当たり前だと、いつ言いだすだろうか。

積丹旅行で今年の夏が終わりました

今週初めから夫婦で2泊3日の北海道観光に出かけてきた。
短パン・半袖シャツで千歳空港に降り立ったら少し涼しいくらいで快適そのものである。初日の札幌では思わぬ2階建て観光馬車に乗り、大通公園周辺を車を見下ろしながらのんびり闊歩、夜はサッポロビール園で野外ジンギスカン、何十年ぶりかの希望がかなった。
2日目はレンタカーを借りずに小樽から観光タクシーに乗ることにした。余市のニッカウイスキー醸造所は広い園内をゆっくり歩き、試飲場でほろ酔い気分、ここは癒しの場所だ。美国では観光船でしゃこたんブルーの中を海底見学、積丹海岸は海岸線ギリギリまで絶壁が迫り、海に取り残された垂直の奇岩を何枚も記念撮影する。神威岬では突端の灯台まで歩いて、200度を超えて広がった水平線に地球の丸さを実感する。岬の湯しゃこたんの露天風呂で夕方の海を見て、島武意海岸近くの宿「鱗晃荘」に到着。
料理が素晴らしいとのネット情報のとおり、テーブル一杯に海の幸が広げられている。アワビのさしみに踊り、採れたばかりの生うに、ツブ貝、海藻や地魚がそれぞれの味と匂いを失わないように薄味に仕上げられている。「いままで泊ったホテルや旅館の中でも抜群の料理です」。妻の感想に納得する。
3日目は路線バスで2時間近くかけて小樽に戻り、昨日の昼食に入った美国のお寿司屋の支店を探し出して、ウニちらしを味わい尽くして千歳空港へ。お土産をたくさん買い込んでから、到着日に味わったラーメン広場の別店で最後の北海道の味を腹におさめた。
3日間のグルメ三昧、関西の10月のような涼しくサラサラ感溢れる気温と湿度、「もう何日も旅行を続けているようね」との妻の感想に同感して、帰路に就いた。
これで今年の夏は終わり。まだまだ残暑が厳しいとの3カ月予報だが、気分を一気に切り替えて、秋バージョンの生活と仕事に邁進だ。
「小谷観光タクシーブログ」に写真が掲載されていた。

原因分析と対策行動のマッチング

北アルプス登山から帰ってきて10日が経った。全ての道具をメンテして片付けが終わり、体の芯に残っていた疲れもようやく取れたので、改めて今回の登山をゆっくり反省してみた。
3000M級の山が久しぶり、3泊4日も久しぶりと、計画段階から久しぶりを組み込んだコース時間設定をし、ザックの重さも必需品以外をほとんどカットして8キロ前後まで押さえ込んだ上で、マッスルトレーナー(重り入り靴)を履いての町歩きから石段の上り下りで弱っていた足を鍛えて本番に臨んだ。
初日の八方尾根途中からの3時間半の登りは何の問題もなし。トップを歩いたため、後のメンバーから速すぎるとのクレームが出るほどだった。2日目の最難関コース、アップダウンや岩場の連続の長丁場も息切れ以外はトラブルなし。
ところが3日目の朝、両太ももが痛くて山小屋の階段を下りられない。マッサージして、出発直後の八峰キレットの岩場の下りと鹿島槍ヶ岳の登りは何とかこなしたが、その後の稜線と爺ヶ岳の何度もの上り下りで、徐々に左足の踏ん張りが弱くなり、歩き方のバランスが悪くなってきた。
最終日の1100Mの下りでは、左足の踏ん張り力の急減、右足は過度の踏ん張りから来る太ももの痛みで柔らかい着地ができずに、3時間の苦行を強いられてしまった。
左足は外反母趾から来る筋力低下と踏ん張り力不足、右足は左足をかばった過度の変則歩行から来るバランス不足、この二つの対策として、フィットネスクラブの坂道歩きにプラスして、今回の登山トレーニングとして始めた石段登りを継続しつつ、スクワットを行うことにした。
外反母趾には上手に付き合っていくしかないので、周辺の筋力アップと両足のバランスづくりを進めて、親友たちと約束した75歳までの現役登山を続けたいと思う。

喜び事は分かち合いたい

前々から心に重くのしかかっていた悩み事が解決したとの電話を受けて、涙が出るほど嬉しかった。そこで躊躇していた息子達との北アルプス登山のチケットを買いにJR京橋駅に駆けつけて、どうにか計画通りのチケットを購入できた。が嬉しさが収まらない。
お昼も近かったので近くの食堂で一人で祝杯を上げようと思ったが、大阪城の向こう側の谷町4丁目に親友が働いているのを思い出して、昼飯に誘った。
彼は北アルプスから帰ってきた翌日から会社に缶詰めになって難しい企画案づくりに没頭している毎日だが、快くOKの返事をくれたので、大阪城を通り抜けて谷4まで歩くことにした。しかし真夏のカンカン照りの30分歩きは厳しく、持っていたタオルハンカチが絞れるほどの大汗をかいてしまった。
エアコンの効いたとんかつ屋に入って「今日は喜び事があったので、申し訳ないがビールを飲むよ」と断ったら「俺も今日は徹夜になるので、気分転換につきあうよ」と少しつきあってくれて、生ビールで乾杯となった。
1杯が2杯にと語り合って大満足で外に出たら、猛暑の陽ざしに急に酔いが回ってきて、電車に乗った途端に熟睡、目覚めたら2駅ほど乗り過ごしていた。
喜び事は分かち合える相手がいれば更に倍加するものだ。駅から自転車に乗りながら、思わず鼻歌までが出てきてしまった。

なでしこジャパンは大和なでしこのチーム

なでしこジャパンがワールドカップ女子サッカーで優勝して以来、それまでほとんどの人が関心さえ示さなかったこの競技と選手達が一躍人気者になってしまった。あちこちの集会に招待され、テレビでも有名タレント扱いで出演し、試合ではこれまでの10倍、100倍の観客が集まっていることは喜ばしいことである。
しかし、これまで国内でほとんど振り向かれてこなかった女子サッカーがワールドカップで優勝できた理由についてはほとんど知らされていないが、少し調べてみると、やはりそれだけの理由がある。
2004年に日本女子代表に「なでしこジャパン」という愛称を付け、2007年にはなでしこビジョンを策定している。そこには、ひたむきさ、芯が強い、明るい、礼儀正しい、の4つの心を挙げて、なでしこらしい選手の姿を示している。
特に、礼儀正しさについては、練習試合で着ていた上着を全選手が軽くたたんで並べている姿を見て、外国の有名監督が「さすがに日本人だ。礼儀正しさ、きめ細かい心配り、道具への愛情を感じる」と喝采を送ったそうだ。
このチームを引っ張っている佐々木則夫監督の指導理念は「自分らしさを表現させること」で、上から指導するのではなく、常に選手と同じ目の高さを意識し、目の前の選手を見抜き、認め、自己実現をサポートする、コーチングマインドそのものの指導を行ってきている。
この監督の下、自分で考え、自分らしく行動する選手達がのびのびと戦い、選手同士の強い信頼感・絆を存分に活かしながら、一戦一戦を勝ち抜いていったワールドカップは、日本人の本来の持ち味を世界に見せつけてくれた。
「ひたむきさ、芯の強さ、明るさ、礼儀正しさ」、これらは大和なでしこのみならず、日本人全員が世界を相手に生き抜いていく時のバックボーンとして、再認識し、実践していかなければならないことを、なでしこジャパンは我々に身体を張って示してくれた。

北アルプスこそ我が人生

9年ぶりに北アルプス後立山連峰を3泊4日で縦走してきた。今回は40年来の親友3人であり、固い信頼の絆のザイルで結ばれて万全の登山を予定していたが、ところがどっこい、そうはいかないのが人生である。
山は変わっていない。しかし、登り手が高齢化して、厳しい登りやくさりが張り巡らされた岩稜の連続に、最近一時的な不整脈を起こしていたメンバーがダウン。彼を前後に挟んで、雨に濡れ、雷にはハイマツの下に隠れ、どうにか山小屋までたどり着いた。
メインの縦走を終えた3日目の山小屋では今回のトラブルの原因分析から生き方の問題まで、生ビールを片手に激論まで交わした。
最終日は膝が笑いだした。その昔、結婚を誓い合った妻と初めて登った穂高の下りで、同じく膝が笑いだした彼女を叱咤激励しながら上高地までたどり着いた日のことを昨日のように思い出しながら、1000M近くを下った。
夫婦で出かけた槍や穂高から、友人達と登山倶楽部を作って北アルプス全域を何度も登ってきたが、今では息子たちとも登るようになった。人生の大きな節目の前後にはなぜだか北アルプスに登ってきたようだ。
北アルプスこそ我が人生。これからも寄る年波に負けないように体力づくりに励み、安全第一に登り続けたい。
猛暑の大阪に帰りつき、その暑さにうんざりしていたら、妻から息子達との親子登山の9月の日程を知らされた。

本番と準備の2度の楽しみ

明日からの3泊4日の北アルプス遠征登山を前にして、今週は仕事を終えてから、ゆっくり準備をする時間を持てた。いつもは、リーダー担当時はコース検討に念には念を入れるが、メンバー時には届いた登山計画書に沿ってコースをなぞる程度で、あわただしく装備を準備して当日を迎えていた。
今回はリーダーとしての責任があるので、地図に沿ってコースガイドを読み込み、インターネットで他の登山グループの登山記録を集めて、歩行時間の対比表まで作って最終の詳細登山計画書に仕上げた。
その過程で、4日間の登山経路の場面場面について、9年前の記憶が鮮明に蘇ってきた。
大糸線白馬駅からゴンドラ・リフトを使い、八方尾根途中からの最初の登りの高揚感、2日目は唐松岳頂上山荘からの最初の厳しい下りに身を引き締め、五竜山荘から見晴かす五竜岳の圧倒的な岩の塊に感激の声を上げ、五竜頂上からキレット小屋への、岩にしがみつき鎖や梯子に手に汗する緊張感、3日目の出発すぐから急激に下り、鹿島槍ヶ岳(2889M)まで登り返す八峰キレットの再びの緊張感、爺ヶ岳から歩いてきた縦走路を振り返る満足感。
コースイメージを作り上げてからの装備の準備には迷いがない。広い部屋にザックとストックを始めとして、全ての準備物を濡れないようにビニールの袋に入れて広げて、一度だけ簡単にザックに詰め込んでみて総量と重量が適量であることを確認して、準備は完了した。
安全第一の登山方針に則って、この北アルプス屈指の縦走路を味わいたい。明日からの好天を祈ろう。