ライバルはあらまほしけれ

夏山登山が今週末に近づいてきて、近くのお寺の石段登りにも更に熱が入ってきている。
当初は2~3回上り下りするだけで、汗が吹き出し息が切れるほどの苦行であったが、最近は楽しみに変わってきた。というのは夕方の同じ時間帯に上り下りする同行の士が見つかったからである。
80近い高齢ながら、両手にストックを持って快調なペースで歩かれる品のよい紳士であり、「トレーニングですか?」とお声掛けしてみた。
「歳は78歳です。富士山に登りたいと思ってやっていますが、果たして登れますかね」と言われるが息は切れていない。10数歳の年齢差があるにもかかわらず、同じような回数を歩かれるので、「片足1.2キロのトレーニングシューズを履いています」と見えを張ってしまったが、翌日、更にお聞きしてみると、先ず20回上り下りした後、自宅で休憩されて、更に10回歩かれているとのことだ。
「こりゃあ負けたな」と大反省しつつ、以降、毎日欠かさず励むようになったことは言うまでもない。持つべきものは同行の士でありライバルである。

渋谷を歩く群衆を観察して

JR渋谷駅での待ち合わせ時間に喫茶店でコーヒーを飲みながら通り過ぎる群衆を観察してみた。
夏休みに入ったせいか、いつもよりも更に混雑している。30度過ぎる暑さにもかかわらず、背広を着たり手に持ったビジネスマンが非常に多い。クールビズ推奨と言いながら、建て前と本音の差がまだまだ大きいのが東京らしい。
女性達は年齢にかかわらずそれぞれのファッションで着飾って歩いている。関西ほどの派手さはないが、徐々にそれに迫ってきている感じだ。
女性達は元気だ。それが子ども連れ、母親連れでも関係なく、前を向いて颯爽と闊歩している。一方、男性は総じて溌剌さが見えない。なかには後姿にとぼとぼ感が見える中高年も多い。
そんな中に、30代の男性で背広を着込み背筋を伸ばして自信満々で歩く若者達がいる。渋谷で働く30代の社長という本に書かれていたこれからの日本をリードするビジネスマン達ではないだろうか。
渋谷を歩く群衆を観察していると、東日本大震災の影はほとんど感じないが、昨今の日本人模様、ビジネスマン模様が見事に浮き上がってくる。そんな彼らを見過ぎたせいか、少々人ごみに酔ったようだった。

北アルプス登山を2週間後に控えて

今年の夏山のメインイベント、北アルプス後立山連峰縦走が2週間後に迫ってきた。昨年はリーダー役の骨折で富士山登山が計画倒れになってしまったので、3000メートル級の登山は2年ぶりである。
このコースは2002年に5名で登っているが、親友の一人が仕事で参加できなかったので、再挑戦を計画した。
大糸線白馬駅から八方尾根の途中までゴンドラとリフトを使い、そこからの登りとなる。唐松岳~五竜岳~鹿島槍ヶ岳~爺ヶ岳から扇沢・信濃大町に下るコースは途中の五竜岳の岩の塊の存在感、八峰キレットから鹿島槍への高低差、黒部谷を挟んで剣・立山と向かい合い、白馬から遠くに槍・穂高の眺望を満喫できる北アルプスでも屈指の縦走路だ。
親友3人で組む隊列には何の不安もない。でもお互い足を引っ張ってはならないと準備トレーニングにせっせと励んでいる。細身の経営コンサルタントは何年もかけて開発した大股で歩く安定歩行に磨きをかけ、同業の人事コンサルタントはマッスルトレーナー(現代鉄下駄)を履いて仕事に出かけて、太身を絞ってきている。
負けてはならじと、同じくマッスルトレーナーを履いて、近くの成田不動尊の95段の石段を上り下りし、最近では往復10回を日課にするまでに追い込んできた。
登山を趣味にして15年、ピークハンティングからスローライフ登山まで活動の幅を広げてきたものの、やはり醍醐味は3000メートル級の縦走である。本番日の好天を願って精進を続ける毎日だ。

節電本番を迎えて本音ポロリ

関西でも7月から節電本番を迎えて、連日、節電目標と家庭への節電要請、その実施状況が報道されている。
交通機関の節電実施は肌で感じられる。JRでは最初は暑いなと思うほどに室内温度を上げており、私鉄では会社によってばらつきはあるが、乗って肌寒さを感じる列車はなくなってきた。また駅構内の照明削減やホームの待合室のエアコン中止など各社の工夫が見え始めている。
一方、仕事でお伺いする企業では事務所や会議室の温度を28度に設定しており、暑い職場の出現に合わせて、スーパークールビズを上司から率先して着用するなど、生産現場の節電に歩を一にしている。
一般家庭での節電対策はどうだろうか。
会社勤め時代、休日に家にいることが相当苦痛だったことを思い出す。平日出勤しているとエアコンの効いた事務所で快適に仕事に取り組めるが、我が家では昼間はエアコンを入れず、妻を先頭に我慢の生活をしていたからだ。現在でも、もちろん変わりはない。
近所の高齢者宅では暑い昼間でもエアコンをつけていない家が多い。これは単に我慢しているだけでなく、電気代を節約していることも多いのだろう。
これらを考えると家庭での節電効果はそれほど上がらないのではないか。
官邸や政治家達がネクタイをはずしただけで上着をはおったクールビズもどき=28度の設定温度のオフィスでは暑くて汗だくになる格好、や、ニュース番組のアナウンサーが背広ネクタイで節電報道をする姿は見るに堪えない。
先ずは官邸や国会、スタジオを28度に設定して、その中にふさわしい服装で颯爽と行動する姿を国民に見せてこそ、節電要請や節電報道が理解され、更なる暑さ対策と暑さ我慢が我がこととして実践されるのではないか、と思う昨今である。

首相が刀折れ矢尽きたら困る

一国の首相が退陣を表明した後で、誰が見ても延命策でしかない新しい政策を次々と発表し、ついには「刀折れ矢尽きるまで頑張る」と続投の意欲を見せるに至って、居ても立ってもおれなくなって、このブログを書くことにした。
阪神淡路大震災の際には自衛隊の投入などの緊急時非常手段を渋った村山首相の不決断により、多くの焼死者を出したが、今回のそれ以上の大震災に直面して、権力にしがみつくだけの非常時リーダーシップに欠けた首相をいただいていたために、後世の歴史に汚点として残る復旧・復興活動が展開されてきている。
合意形成型のリーダーシップを得意とする日本では、平時=それぞれの団体、企業、国民が良かれと思って個別最適に活動しても対処できる時期、には御神輿の上に乗る調整型リーダーで事足りるが、有事=即時即応の対応をしなければ、国民の国の生命・財産が脅かされる緊急事態、では信念を持って決断して行くトップダウン型のリーダーが求められる。かつ、そのリーダーには国民から全面委託しても足るとの信頼がなければならない。
現首相は信念なく、決断なく、国民の信頼が全くなくなっても権力に居座るとは言語道断である。ましてや、非常時に国のリーダーが「刀折れ矢尽きては困る」のである。国の存亡の危機と言わねばならない。
マスコミがこぞって首相の無能さを訴え、野党のみならず与党の中、加えて政権中枢からも首相の交代の声が上がっている。ここは与野党が一致協力して、首相を退陣に追い込む非常手段を取らねばならない時が来たと思う。
我々国民一人ひとりも声を上げなければならない。有事のリーダーを支えるのは国民の厚い信頼だからである。

間接的に褒めると伝わります

夏山遠征の帰りのJRチケットを買いにJR京橋駅に並んだ後に、お昼近くまで近くのプロントで仕事をして、いざ帰ろうとなると予想以上の暑さになっていた。
ここはインドカレーで暑さを吹き飛ばそうと、行きつけのスリランカ人のやっているインドカレーの専門店に入った。このお店は創業後10年、いつ行ってもスタッフが溢れる笑顔で応対してくれて、それだけでも気持ちがいいお店だ。
久しぶりに入り、新しいスタッフの応対がまたまた良かったので、「いつ来ても素晴らしい応対ですね。マスターがそういう方針を徹底しておられるのですか?」と質問してみると、「いつもありがとうございます」と笑顔で返された。
美味しいカレーに満足して、店を出ようとしたら、壁の向こうのナンを焼くかまどの傍から、スリランカ人の二人が笑顔とたどたどしい日本語で「ありがとうございました」と大声で挨拶してくれるではないか。
直接マスターを褒めた訳ではないが、間接的な褒め言葉が有効と何時も言ってきていることを実感させられた土曜日の昼下がりだった。

絶対にゆるまないネジ

いつだったかテレビのカンブリア宮殿で紹介されている中小企業を観て、東大阪に凄い会社があるのだなあと感心したことがあったが、先日、行きつけの本屋に「絶対にゆるまないネジ」と題した本を見つけて、早速買ってきた。
ハードロック工業という従業員50名足らずのこの会社は、ぜったいゆるまないネジ(実はナットのことだが)を開発し、それを絶対にゆるんではならない構造物(橋や送電線、新幹線など)に売り込むと共に、ゆるまないことを学術的に解明してもらい、この商品で世界ナンバーワンの地位を獲得している。
オンリーワン商品の開発には、好奇心を持ち、見て触れて感じるマインドと行動をベースとして、世の中の商品はすべて未完成(60~70%)であり、その未完成商品を組み合わせ技術で改善改良していくという、極めてオーソドックスな開発スタイルである。
更に、そのオンリーワン商品をロングセラー商品に育てるためには、必需品化することが大切であり、そのためには成功したそのテーマを徹底的に掘り下げて他社がまねできないレベルを常に確保し続けることが必要であると、これも極めてオーソドックスな手法であり、日本のモノづくり企業、特に中小企業がモデルとして学べる企業である。
この2つのオーソドックスな手法はメーカーのみならず、我々人事のコンサル屋にもそのまま当てはめることができると直観できた。
人を意識付け、新たな成長の舞台へと導くには、ベースとなる知識スキルと多種多様な人事キャリアの上に、人間理解の視点とツールを駆使して課題を共同発掘し、向かい合う人たちへのカウンセリング現場対応力=コーチングとティーチング=別名、かましと刷り込み、をトコトン磨きあげれば、他からは絶対にまねできない人材育成コンサル手法が開発できそうだ。
これは親友の経営コンサルタントからも同じようなアドバイスをもらっており、少し時間をかけて、徹底的に分析し、意識行動改革メソッドとして是非とも完成させたいと思っている。

民営化の効果

JR西日本は尼崎脱線事故以来、相変わらず官僚体質は変わっていないと思ってきたが、昨日は少し変わってきたことを体験できた。
1か月後に迫った北アルプス登山の行きのチケットを購入するため、JR京橋駅のみどりの窓口に並ぼうと、10時発売の1時間前に着いたら、並ぶ場所が分からず、窓口の係員に聞いてみた。
「並ぶ場所はありませんので、10時少し前に来てもらったら結構ですよ」「それじゃあ、普通の客と混じって、10時即の購入ができなくなるじゃないですか。じゃあ、ここに立っています」と、相変わらずのお役所仕事だなと感じつつ、客の列の横に立つことにした。
しばらくすると、女性の係員が「1時間立つのは大変ですから座ってください」
と椅子を持ってきてくれた。ありがたい配慮だが、購入客の邪魔になるので丁重に断った。すると次に、最初の少々ぶっきらぼうな係員がやってきて、「事前に購入される列車をお聞きしておいて準備しておきます」、「あれ!こんな気配りをしてくれるの」と驚きつつ、改めてみどりの窓口を見渡してみた。
内部には駅職員の休憩所があるらしく、彼らが出入りしている。入ってくる時には「いらっしゃいませ、ありがとうございます」、出ていく時には「ありがとうございます」と全員が必ず客に挨拶をしている。
脱線事故以降も幹部の官僚体質はなかなか変わらないと思ってきたが、それぞれの現場では少しずつ変わってきているようだ。民営化の効果は、経営陣よりもお客に接する現場から現れてくることを目の当たりにした昨日であった。

経営諮問会議

ひとりビジネスを続けていると、いつの間にか独りよがりになる危険性があると思い、弊社創業1年後に、経営諮問会議と称して、親友たちに集まってもらい経営活動について率直な意見を聞かせてもらう場づくりをした。
3年を経過した今回は、創業1年半の親友会社と合同の会議を行うことにした。休日のOBPビル1階のスペースのある喫茶店は大阪城見物の家族連れやグループがのんびり語り合っている。
先ずは親友会社が1年半の反省とこれからのビジネスプランを説明した。SWOT分析(強み弱み分析)や顧客対象別分析、経費対策から新規戦略まで、彼らしい緻密さで事業計画を説明し終わったら、古希の友人が「よくまあ、これだけ難しいことをまとめることができましたね」と、専門的過ぎて素人には分からないと一発かまし、以降はメンバー全員が腹蔵なく問題点を指摘し、親友社長は回答とメモに追われるという、ねらいどおりの展開になった。
続く弊社については、これまでの成功事例の内容を受注から本番の中身までステップ毎にブロック化して、その進め方や特長を整理し磨いていけば、他社が追随できない商品が出来上がり、他社とコラボをする際にもその共同のしかたや委託業務の切り分けまで明確になるとのアドバイスをもらった。
帰り道では親しい会社間のコラボの注意事項にまでアドバイスが及び、持つべきものは友、その親友達にお願いしたからこそ、経営の諮問会議にふさわしい悩み解決の成果を得ることができた。

宅内火災報知機を鳴らしてしまった

宅内火災報知機の設置義務化を聞いて、出入りの電気屋さんに2階の各部屋につけてもらってから半年余り、1度も鳴るわけがないので、すっかり忘れていた。
毎年ゴキブリやダニの予防に梅雨入り前に家じゅうにバルサンを焚くが、今年はそのタイミングがなくて、昨日、暑さ襲来の6月末になって実施した。
妻を仕事に送り出してから、部屋中に発煙させて、やおら家を飛び出そうとしたら、2階から「この部屋が火事です」の大合唱が聞こえてきた。「しまった。火災報知機を切っていなかった」と気付いたが後の祭り。息を止めて2階に駆け上がり、椅子を取り出して、各部屋の天井に設置した警報機を止めて回ったが、もうもうとした煙の中。ようやく玄関から逃げ出したが、しばし猛烈に咳き込んでしまった。
確かに年中行事なのであるが、「火災警報器の設置くらい思い出せよ」と連想力が衰えたわが身をしばし嘆いてしまった。妻が帰宅してこのことを話したら、「2度目だったら老化現象だけど、1度目は単に忘れていただけよ」と慰められたが、勘と反応力には自信があっただけに、反射神経の衰えには気をつけようと素直に反省してしまったのである。